沿革

金蔵寺のはじまりは、南北朝時代の神石郡父木野の地頭で、御殿山城、石屋原(いわやはら・別名瀬原城)、大石城ゆかりの杉原左衛門尉兼重(出家後、法名願正)が、正和3年(1314)に存覚上人(本願寺第3代覚如上人の長子)が浄土真宗を広め、それに帰依したことに始まる。
正和3年(1314) 存覚上人(本願寺第3代覚如上人の長子)が浄土真宗を広め、それに帰依したことに始まる
父木野の郷の兼重に庵を結び西泉坊と号し江戸初期に重入に移転し、跡には古墳が残っている
寛永7年(1630) 八代玄正のとき、京都本山に上り山号兼重山を受けた
このときに、父木野の重入に移り寺基が整えられる
元禄5年(1692) 梵鐘が八名の旦頭(だんとう)によって寄進される
宝暦3年(1706) 本尊阿弥陀如来立像が寄進される(これまでに三度整えられた)
享保2年(1717) 本堂再建
現在の金蔵寺の境内に、再建したときの石段が移設されている
昭和18年(1943) 太平洋戦争中に元禄年間に鋳造された梵鐘を供出した
昭和53年(1978) 新しく梵鐘が建立される
昭和後期〜平成 住職、門信徒による移転計画が協議
平成15年(2003) 平成の寺基移転の大事業がなされ現在の地に移る